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某年(トイレットペーパーがスーパーから消えた年)5月1日
都内の横十間川というどぶ川のほとりで生まれる。3330グラムの別にどうってことのない男の赤ん坊だったそうです。生まれたときのこと?何しろ夢中だったもので覚えていません。
幼小中高と優秀な成績で、将来を期待される
幼稚園の卒園式で、前に並んでいた由美ちゃんのスカートを式典の間中めくっていたため、帰ってから家の者に死ぬばかり殴られたのが良い思い出です。 小・中と吹奏楽部に入っていました。トランペットが主でしたが、なぜかティンパニーなんかもやりました。中学校で入部したときは男があたしひとりだった ので、みんなから「ハーレム野郎」と死ぬばかり殴られたのが良い思い出です。 高校の時、もう一度ハーレム野郎と呼ばれたくて「演劇部」に入りました。本当は「フォークソング同好会」に入りたかったんですけど、部室を案内しても らったら間違えて演劇部に通されてしまったのです。でも、あたしがいまこうしているのはこの部室が起点なんじゃないかと思っています。成井豊さんの「広く てすてきな宇宙じゃないか」という戯曲を演出していちおう県大会に出場したりもしました。
暗い、暗い大学生活
書類の手違いで、四谷にあるアーメンの大学へ入学を許されました。何しろ書類の手違いだったもんですから、学校に行くには働かなくちゃってんで、新聞や さんに勤めてたら、学校行くのがめんどくさくなりまして、朝刊を配ったら夕刊まで寝る、夕刊を配ったら朝刊まで寝る。という理想的な生活のリズムを刻んで おりました。 後半の二年間は、MacintoshのDTPをバイトというにはあまりにも真面目に生業としておりまして、やっぱり学校に行く暇がありませんでした。い までも、そっちで食えば良いのにという先輩からの暖かい助言をいただきます。そうだよねぇ。 落語・・を聞き始めたのはいつからだったかなぁ、高校生の時には年に数回は寄席に行っていたのを覚えてますが、本格的に聴くようになったのは大学の時で しょうか。やたらに末廣亭の深夜寄席に通い、死ぬばかり殴られたのが(?)良い思い出です。
噺家になってしまった
1995年の9月に十代目柳家小三治に入門しました。翌年3月に修行生活に入り、5月に「小ざる」という名前をいただき、6月から寄席に。大変な前座生 活でしたが、こうやって終わってしまうと想い出に変わります。寄席はもちろんのこと、TBS落語研究会や紀伊国屋寄席など勉強させていただく場所もたくさ ん、ありがたいことです。
二ツ目昇進だっ!!
1999年11月上席から、二ツ目に昇進し、藝名を「柳家三之助」と改めました。噺家としてはここからが出発点、つぎにこのページを更新するような出来事はいったい何なのでしょうか。
で、今はどうなのよ
二ツ目になって5年が過ぎました。毎月の若手研精会、ノスケの会、三本締めの会などで持ちネタを増やすために稽古に追われ、追われながらも現実逃避のた めにいろんなホビーに時間を費やす日々です。1日が24時間なのが恨めしいとはおもいながらも、もし30時間に増えたところでその6時間を稽古に費やすか どうかは・・・なので、とりあえず24時間でなんとかやりくりしております。 その様子は、逐一ブログで報告されたり、されなかったりしておりますのでどうぞごらんいただければ幸いです。 いろんなところでおしゃべりさせていただきますが、出来るだけその空間に流れる空気を大事にしながら、でも噺のもつやわらかな空気を混ぜていくような、 そして最後にはその空間が一酸化噺中毒になるような、そんな高座を心がけています!
このページの最終更新日 2005年5月1日
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